会津身しらず柿Ⅰ

10月下旬、会津へ行った。お袋の顔を見ながら、庭に身しらず程の実をつけた柿(渋柿)をもいだ。(実を収穫した)、約200個ほど高い所から低い所迄大きいもの、赤いものを中心に手で枝を折り、収穫した。その後にお袋と一緒に一つ一つ柿の顔(表面)を見ながら、きれいにタオルで拭いて、さらに蒂(へた・・・実についている枝の部分)を短く鋏で切揃え、ボール箱(中には新聞紙が敷いてある)に並べて入れ、一杯になるまで並べ、重さを量り、10キロ当たり35度の焼酎を1合の割合で、そこへスプレーでまんべんなく振り掛けた。(昔は親父やお袋が口に含んでプーツと吹きかけたそうだ)そして新聞紙でふたをして箱を閉めてガムテープで密閉、約2週間で渋が抜けてちょうどいい塩梅の大人の甘さの柿になるのだ。自分で柿を収穫してから渋を抜く工程までやったのは実に初めてであった。いい経験をした。その後、まだ残っている柿の内から、干し柿用に15個ばかり、実についている枝をT字型に残して、収穫、千葉に帰ってから、干し柿つくりにチャレンジした。要点は、柿の皮をむき、次に殺菌と灰汁を抜くために、10秒程熱湯につける、そしてT字型の部分にひもを巻きつけて天日に干すだけである。写真は吊るせる状態になった1日目のものである。これも食べれる迄時間がかかるが、変化が楽しめる体験となる。故郷の良さを実感した日々であった。

 

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天日に干した2日目の写真である、どんどん色が濃くなっていくと同時に、水分が抜けて、どんどん柿自体が小さくなっていく。ヘタの周りの皮むきが不揃いだったのと、むき方がバラバラだったので、皮の残り方が不揃いとなってしまったようである。次回の課題である。

 

 

* 会津へ帰ってとんぼ返りで帰ってきた時に会津西街道(会津田島から山王峠を越え、栃木に入り、那須塩原に抜ける街道)を久しぶりに辿ったが、会津を出るまでは、道の両側にはまだ収穫されていない、あるいは収穫されずにそのままにされるであろう柿が、沢山あった。収穫されて商品として全国に出荷される身しらず柿も沢山あろうが、冬を迎えて、そのままにされる柿も本当に沢山だろうなと思いもったいないなあと感じたのは自分で収穫したからなのであろうか。