31日 12月 2023
ベランダには、デラウエアがあるけど、下の地植えのぶどうは、日が当たらない。植えて3年位になるが、2メートル位になったので、様子を見ていたら、数個の花が咲いて、1つだけ、実がついた。それがこの写真である。とても貴重なので、食べれる頃を見計らって、写真を撮った。ブサイクな様子ですが、一応実がついている。色は、いいようであるが、全体に色が熟しが回らないようである。恐る恐る、果実を頂いてみたが、いまいち、味が分からなかったが、糖分はあるようである。来年に期待しようと思うが、枝を接ぎ木用に使う計画もある。
次男にThinkPad X280メモリ16GBを渡したが、突然ログインパスワードがわからないという、戻されたノートPCを前にしばし、黙考、ネットで、ログインパスワードの表示を探したが、なかなかない。それで、パスワードリセットを探すと、ヒットした。USBで、WINを立ち上げて、コマンドラインから、net user...
気がつけば、ブログの5月がないではないか、埋めようと思う。写真は グミの実の写真である。庭に植えた、グミが、今年は、約30個のみをつけた。昨年が8個だったので、大成功だった。貴重品なので、完熟を味わった。甘みと、僅かな酸味の絶妙な組み合わせが、醸し出す豊かな味わいは、...
6月3日(土)あの大雨の日、静岡の友は、約八時間を掛けて、我が家に遊びに来てくれた。年賀状のやり取りはしていたが、ずーっと会っていなかった。千葉駅の改札口で待ち合わせ、到着時刻を知らせてもらって待っていたが、近づいてきた彼を小生は、気づかなかった。話して、時計の針が、20代の大学時代の自分に戻ったのを感じた。その夜と次の日の昼過ぎまで、久々の充実した時間を与えてもらった。そして、同じような経験(特にPC関係)をしながら、生きてきた過程を知るにつけ、これから生きるさらなる元気をもらった。彼こそは、静岡大学人文学部外国史学専攻の久保田君である。写真は5月に送られてきた久保田君のところの完熟甘夏である。静岡なのでお茶も入れてあった。ありがたいものである。お互いにとって忘れられない日々となったと思う。 PS :その後、久保田くんから大雨でみかんの木が数本倒れたという連絡があり、現在復旧作業に取り 組んでいるとのことだった。体をいたわりながら、頑張ってもらいたい。
3月に咲いた白いサクランボの花は、1ヶ月を過ぎて、写真の様な状態になりました。赤い実を鳥が見つけますので、早速テグスを200メートル以上張りました。まだ鳥(ヒヨドリ)が来ていますが、少し実を食べられている状況です。GWの頃には、真っ赤に熟したサクランボが収穫出来ると思います。開花後20日あまりで、実を摘果しました。葉っぱが枯れてきているところが目立ちましたので、取り除いて対処しました。これから、実が一回り大きくなると思います。例年になく一回り大きくなった、実を取得できれば、ありがたい。
3月11日、東日本大震災から12年目の今日、自宅のさくらんぼが写真の通りの状態つまりほぼ満開状態になった。2,3日前から、咲き始めたが、このところの気温上昇で一気に、開花した。通(みち)ゆく人が、見上げて、桜ですかと、何人にも聞かれた。いいえ、さくらんぼですというと、そうですか、楽しみですね。という答えが返って来た。これからゴールデンウイークの終わり頃には、赤い実が、鈴なりに、ついてくれると思う。2月には、寒肥と称して、乾燥鶏糞をそこらに穴をほってまいておいた。効果の程はいかほどかな。?また、2月に剪定した効果はどうだろうか。楽しみだ。
1月25日に数日前に手に入れたWさんちの夏みかんで、2023年初のML(マーマレード)を作った。写真の夏みかん4個を使い、皮、実、種を使い、他に白ワインで味を整え、砂糖は、定番のグラニュー糖で、仕上げた。トロミは種を煮だして取ったペクチンと、粉状のペクチンを使って、調整した。みかんの皮の色の黄色には、及ばない瓶の中のMLだが、自然の色を出してくれた。制作過程が定型化してきて、安定した味わいになってきていると思う。3瓶と半端な瓶が一つ出たが、早速パンにのせたり、ヨーグルトに入れて頂いた。冬の風物詩になりそうだ。新鮮が一番だ。
1月10日(火)になりましたが、今年の年賀状を公開いたします。コロナ禍3年目を第8波で本格的に迎え、中国の感染爆発に見通しが立たず、ウクライナ情勢の出口も見えず、国内のインフレ状況に賃上げが追いつかず、先行きの不安だけが拭えない状況ですが、時間だけは、年を經るごとに加速度的に短く感じられるようになっています。定年を人生の折り返し地点とすれば、60歳から早8年、残り少なくなって来ています。 日々の平凡な暮らしを大切にしていかないといけないと感じるようになりました。年賀状にも書きましたが、自分自身を作ること、他人の喜びになることを自分がやること、そこに自分の存在価値を見いだせれば最高だと思うような年齢になったのでしょう。残された時間を有意義に使うことに邁進しよう。年頭にそんなことを今年の決意めいて書いて見ました。
プロトタイプまで、行っていた門松に南天と千両の赤い実が入り、華やかになった。花の咲きそうな梅の枝があれば、松竹梅で縁起が良くなるが、適当な梅の枝がなかったので、これで良しとした。白いナイロン紐で梅の花弁を形どった飾り花びらを教えてもらったが、自然のこだわりから無しにした。今年は初めて作ったが、来年の課題としよう。来年の話をすると鬼が笑うというが、来年は、ペール缶で、重量感のある一基を作ろうと思っている。更に太い竹を切り出し、加工しよう。 竹と、藁と、砂から作る門松は、正月の神を迎い入れるためのものだという。 日本人と竹と藁の付き合いは、非常に古くから身近な材料として使われ、おなじみのものであったが、最近は、竹も藁も見向きもされなくなっている。植木の仕事を初めて、竹の使い方(四つ目垣、建仁寺垣根など)や縄の使い方を知ると、その付き合い方の奥深さに、感心させられることしきり、自然の持つ素材の美しさ、強さ、便利さを改めて実感している。自分の新しい視野が開かれた思いがする。最近、箕の滑水性に注目した糸が雨具に使われているという記事を目にした。日本のものづくりはまだまだ捨てたもんじゃないなと思った。
12月22日午前中雨だったが、午後から上がったので、かねてより準備していた、門松つくりに取り組んだ。竹は八街の研修所から調達して、日曜日にみんなで加工してあった、容器は準備したが、菰、縄、松と榊は石井さんが、準備してくれたものを使った。容器の半分をダンボールで巻いて、形が円筒になるようにした。菰を巻き、底の部分は15センチほど残して、広げるようにした。縄を3重、5重、7重(753)と巻き付け最後は男結びで締めた。3本の松を並べて入れ、砂を入れて固定して、周りに松の枝を入れた。榊も入れた。松竹梅にするので、後は、梅の枝を挿し、南天の実を入れて完成だ。日本の伝統文化はすごいと思った。竹の切り出しから、奥が深くて楽しかった。竹の切り口が笑い顔になっていたら福笑いだ。