カテゴリ:柿



19日 11月 2016
 ひとつひとつを鞘から出す。確認しながら出す。意外と虫に食われて、穴の開いた粒が出てくる。虫も必至だ、隣まで到達しようとしているのがわかるくらいである。実のほうは、動くことが出来ないので、されるがままである。でも一つで防いでいる実をたくさん収穫できたことは,...
19日 11月 2016
始まりはシルバーのお仕事での事、柿の木を切ったら、渋柿をいただいた。千葉の渋柿である。早速30個くらいを干し柿にしようと、消毒をして、つるした。写真はその時のものである。比較的大きな柿だったので、作り甲斐があった。家の中に干しつつ、天気をみて外に出す作業を繰り返しした。2,3日目がやまだ、生乾きですぐにカビが生える、それをアルコール(実際はホワイトリカー35度)で消毒しつつ乾燥させる。そこを過ぎると、干し柿作成工程は、ずいぶん楽になる。ほったらかしでもよいくらいだ。2週間で、アンポ状態になり食べられる。甘さはまだまだだが、いけなくもない。完成は3週間後かな。
03日 12月 2015
10月の終わりに会津に行って、実家の柿をもぎ、自宅のベランダで干して早、3週間が経過して干し柿も大分縮んだ。最初から比べると3分の1といったところか、味見をしてみたが、柔らかいアンポ柿と黒い硬いいわいる”昔の干し柿”(1か月以上干したもの)の中間で程よく実も残っており、甘さもちょうどよく、日に当たっている皮の部分も適度な歯ごたえと食べ応えを残しており、おいしかった。現在は1か月が経過して”昔の干し柿”状態になりつつあるが、干して1か月、一週間おきに味見して、それぞれの味を堪能した。煮沸したおかげでカビの発生を見ることもなくうまくいった。千葉での身しらず柿の干し柿は成功だ。たぶん栄養的にも申し分ないだろう。今年は、身しらず柿の渋を抜く方法と身しらず柿を干し柿にする方法を学んだ。ちょっと生活力の経験値がアップしたようだ。来年は、さらにパワーアップを図りたいものだ。
11日 11月 2015
柿をベランダで干してちょうど一週間が経ちました。柿自体が水分を飛ばして相当小さくなりました。また色も少し黒ずんで干し柿らしくなりました。アンポ柿はこれよりも色がオレンジ色で大きさも市販品は大きいようです。あと何日で、黒い干し柿になっていくのでしょうか。雨を気にしながら、柿を干している毎日です。太陽のエネルギーを一杯吸収して、やがて干し柿になります。人間は自然の元で生かされている。一番吸収している空気、そして水、その他食べ物はすべて太陽エネルギーの変換したものである。人間自体も太陽エネルギーから生まれたといってもおかしくないと思う。
10日 11月 2015
朝、散歩をするお袋の家から真っ直ぐ北の方へ行くと、二百米くらいで田んぼの中の農道に出る、そこを行くと、その先の奥には村があるが、その手前三百米くらいのところには田んぼに交じって畑がある、そこに植えられている何本かの柿の木の写真である、まさに身しらずな程の実をつけている一本である。このような柿が町中、村中、会津地方中に普通に見られる光景である。すべて渋柿である。  *写真をクリックすると拡大します。
10日 11月 2015
10月下旬、会津へ行った。お袋の顔を見ながら、庭に身しらずな程の実をつけた柿(渋柿)をもいだ。(実を収穫した)、約200個ほど高い所から低い所迄大きいもの、赤いものを中心に手で枝を折り、収穫した。その後にお袋と一緒に一つ一つ柿の顔(表面)を見ながら、きれいにタオルで拭いて、さらに蒂(へた・・・実についている枝の部分)を短く鋏で切揃え、ボール箱(中には新聞紙が敷いてある)に並べて入れ、一杯になるまで並べ、重さを量り、10キロ当たり35度の焼酎を1合の割合で、そこへスプレーでまんべんなく振り掛けた。(昔は親父やお袋が口に含んでプーツと吹きかけたそうだ)そして新聞紙でふたをして箱を閉めてガムテープで密閉、約2週間で渋が抜けてちょうどいい塩梅の大人の甘さの柿になるのだ。自分で柿を収穫してから渋を抜く工程までやったのは実に初めてであった。いい経験をした。その後、まだ残っている柿の内から、干し柿用に15個ばかり、実についている枝をT字型に残して、収穫、千葉に帰ってから、干し柿つくりにチャレンジした。要点は、柿の皮をむき、次に殺菌と灰汁を抜くために、10秒程熱湯につける、そしてT字型の部分にひもを巻きつけて天日に干すだけである。写真は吊るせる状態になった1日目のものである。これも食べれる迄時間がかかるが、変化が楽しめる体験となる。故郷の良さを実感した日々であった。     *写真をクリックすると拡大します。