カテゴリ:2015年



31日 12月 2015
 4月退職後の生活が始まる。それから9か月、早いようで長い日々が続いた。肉体改造と37年間の総括という名の生活の整理が始まり、そして年末を迎え、それなりの到達点にいる自分を今発見している。肉体改造は12月にホノルルマラソンを設定することで、筋トレとランニングを今まで以上に強化した。平均すると月間、筋トレ回数15回以上と走行距離150キロをこなした。その結果、体重は7キロ以上減少し、体脂肪率も5%以上減少、健康になった。合間にバドミントンをこれまで以上にこなして自分の体が軽くなっていることを実感した。やはり継続は力なりを改めて実感した次第である。今までの総括という点では、有り余る時間を有効に使い、授業記録の暫定的な整理とPC内の記録(今までに使用して記録したHDDやFD)の大まかな整理をやることが出来た。継続的な生活を再構築するという意味では一つの区切りをつけられたかなという感想を持っている。明日からの新しい年に今までの成果を持ちつつ望みたい。
30日 12月 2015
 12月27日日曜日に千葉市民リーグ冬季大会に花島公園体育館にて参戦、18部と22部で半年振りの試合をした。小生は18部に参加した。1チーム棄権していたので、試合数は2試合となる。最初にミックスダブルスと2試合目に男子ダブルスで戦かった。ミックスは立ち上がりが悪くて1ゲーム落としたが、2ゲーム目には8点で取り返し、ファイナルとなった。序盤から競っていったが、中盤で少しリードし、20点時には17点と3ポイントリードしたが、サーブからの処理で躓き、同点になり延長戦へ入り、23対21でマッチを落とした。惜しかったが、ミックスの試合展開がこちらは十分できなかったのが敗因であろう。2試合目は、若年組との対戦で、あげて打たれるパターンで0-2で負けてしまった。しかし、1ゲーム目より2ゲーム目は大幅に自分たちのポイントを伸ばした。いろいろな状況で試合をするのは、お互いに難しい事を実感させられた試合であった。週2回といえども、1ゲーム1ゲームにブツカッテいく状況を自分なりに厳しくしていかなければと痛感した。今年はこれで試合は御仕舞だが、来年7日からまた新たな気持ちで取り組んでいこう。22部はアクシデントがあったが、若者組が活躍して2位だったが善戦した結果を残した。
17日 12月 2015
 12月11日(金)午後9:00、成田より空路ハワイへ、7時間後到着、日本は12月にしては異様に暖かい日であったが、現地ハワイは、11日の午前9時過ぎだったが、軽くC°25度を超えていた。一日おいて、13日の午前5:00(まだまだ暗い中で)3万人以上を集めてのホノルルマラソンは花火とともにスタートを切った。その中に小生は5時間台のペースメーカーの人たちの後をついてスタートラインの近くにいた。思い起こせば、還暦のお祝いに席から始まった突然のマラソンエントリーの話、息子たちと嫁さんを巻き込み大きくなり、小生は4月以来のトレーニングを重ね、この日に標準を合わせて生活してきた。到着した日は時差ボケ、1日調整したとはいえ、興奮して前日はよく眠れず、午前二時には起きて支度をした。  きれいで大きな花火がなかなか終わらず、なかなかスタートラインまで行けなかったが、数分後に動き出して、ゼッケンにつけられていたチップをスタートさせることができた。
03日 12月 2015
10月の終わりに会津に行って、実家の柿をもぎ、自宅のベランダで干して早、3週間が経過して干し柿も大分縮んだ。最初から比べると3分の1といったところか、味見をしてみたが、柔らかいアンポ柿と黒い硬いいわいる”昔の干し柿”(1か月以上干したもの)の中間で程よく実も残っており、甘さもちょうどよく、日に当たっている皮の部分も適度な歯ごたえと食べ応えを残しており、おいしかった。現在は1か月が経過して”昔の干し柿”状態になりつつあるが、干して1か月、一週間おきに味見して、それぞれの味を堪能した。煮沸したおかげでカビの発生を見ることもなくうまくいった。千葉での身しらず柿の干し柿は成功だ。たぶん栄養的にも申し分ないだろう。今年は、身しらず柿の渋を抜く方法と身しらず柿を干し柿にする方法を学んだ。ちょっと生活力の経験値がアップしたようだ。来年は、さらにパワーアップを図りたいものだ。
15日 11月 2015
今日自分が走った距離を自動車で計測した、自宅からマリンスタジアムの距離は12.8キロ(片道)だった。これがこれからの基準となる長さになる。フルマラソンのトレーニングをする時の基準になる。自分の走るスピードを自分で把握することは基本である。それにより自分の走るスピードが決められると思う。今年はホノルルマラソン初エントリーというけど記録が楽しみだ。これから将来につながるか、これ以上我慢が出来ないはということで終わりにしたい。自分の目標は自分で設定できるし、変更を可能、でも設定した以上は自分で責任を持つことも常識である。明るくいきたいな。
11日 11月 2015
柿をベランダで干してちょうど一週間が経ちました。柿自体が水分を飛ばして相当小さくなりました。また色も少し黒ずんで干し柿らしくなりました。アンポ柿はこれよりも色がオレンジ色で大きさも市販品は大きいようです。あと何日で、黒い干し柿になっていくのでしょうか。雨を気にしながら、柿を干している毎日です。太陽のエネルギーを一杯吸収して、やがて干し柿になります。人間は自然の元で生かされている。一番吸収している空気、そして水、その他食べ物はすべて太陽エネルギーの変換したものである。人間自体も太陽エネルギーから生まれたといってもおかしくないと思う。
10日 11月 2015
11月になり、いよいよマラソンまで40日となった。10月は練習到達目標(月間走行積算距離200キロ以上、筋トレ15回以上)を25日までにクリヤーしたが、なにせ30キロ走もしていないので不安である。今月は一応仕上げの時期なので長い距離(20キロ以上)を走る練習を最大2回以上はやってみようと考えている。本当はスピード練習もしないと自信がつかないかもしれないが、今の自分にはその余裕がないのも事実である。未知との遭遇はやはりこわい。金 哲彦氏の 本を2冊程読み、マラソンとは何かとか、トレーニングはどうすればよいかとか、本番への準備とかいろいろ教わることは多かったが、実際にやってみると出来ないもの、出来るものが入り交り、自分のものになっていないところの方が多いと思った。しかし時間は待ってくれない。慣れ親しんだ青葉の森の風景も冬に向かって準備をしていて心なしか、さびしい。 今日は10キロ走って、筋トレをこなした。
10日 11月 2015
朝、散歩をするお袋の家から真っ直ぐ北の方へ行くと、二百米くらいで田んぼの中の農道に出る、そこを行くと、その先の奥には村があるが、その手前三百米くらいのところには田んぼに交じって畑がある、そこに植えられている何本かの柿の木の写真である、まさに身しらずな程の実をつけている一本である。このような柿が町中、村中、会津地方中に普通に見られる光景である。すべて渋柿である。  *写真をクリックすると拡大します。
10日 11月 2015
10月下旬、会津へ行った。お袋の顔を見ながら、庭に身しらずな程の実をつけた柿(渋柿)をもいだ。(実を収穫した)、約200個ほど高い所から低い所迄大きいもの、赤いものを中心に手で枝を折り、収穫した。その後にお袋と一緒に一つ一つ柿の顔(表面)を見ながら、きれいにタオルで拭いて、さらに蒂(へた・・・実についている枝の部分)を短く鋏で切揃え、ボール箱(中には新聞紙が敷いてある)に並べて入れ、一杯になるまで並べ、重さを量り、10キロ当たり35度の焼酎を1合の割合で、そこへスプレーでまんべんなく振り掛けた。(昔は親父やお袋が口に含んでプーツと吹きかけたそうだ)そして新聞紙でふたをして箱を閉めてガムテープで密閉、約2週間で渋が抜けてちょうどいい塩梅の大人の甘さの柿になるのだ。自分で柿を収穫してから渋を抜く工程までやったのは実に初めてであった。いい経験をした。その後、まだ残っている柿の内から、干し柿用に15個ばかり、実についている枝をT字型に残して、収穫、千葉に帰ってから、干し柿つくりにチャレンジした。要点は、柿の皮をむき、次に殺菌と灰汁を抜くために、10秒程熱湯につける、そしてT字型の部分にひもを巻きつけて天日に干すだけである。写真は吊るせる状態になった1日目のものである。これも食べれる迄時間がかかるが、変化が楽しめる体験となる。故郷の良さを実感した日々であった。     *写真をクリックすると拡大します。
24日 10月 2015
今日、また新しい出発に出会うことが出来た。若松高校時代のK君の結婚式だった。皆に祝福されていい船出だ。この年になると、こういうイベントに参加できるということが、自分自身の存在を確認できるものとして、貴重に思える。これからを存分に生きて欲しいという願いで陰ながら応援するよという気分で同時に見ている。それにしても、前途ある若者の姿を見ることは、自分自身に元気をもらえる。と同時に、一緒に出席していたその当時の仲間との交流はそれ以上に、自分自身を若返らせてくれた。自分の心は、40代の自分に戻っていたように感じて、すこぶる軽かったし、あっという間に時間を超えてその当時の関係に自分をいざなってくれた。うれしかった。貴重な時間をありがとう、お互い明日に向かってそれぞれ生きていこう、でも一緒にいれば、その当時の感覚を共有できる、なんと素晴らしいことか。

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