幕張西高校のバドミントン部の活動は同好会から始まる。手探りで部活動を文字通り作ることになる。幕西には13年間いて練習から試合まで文字通り自分たちで構築していった。1983年から88年までを振り返ってみる。文中にて試合の結果がわからないものや、記述に間違いがあるかもしれないことを最初にお断りいたします。詳しいことがわかれば、ご一報ください。宜しくお願いいたします。
千葉県立幕張西高等学校バドミントン部の足跡
(1983)昭和58年
【男子】
同好会の設立は昭和58年になってからだが、そのとき男子会員は松井君一人であった。試合にいきなり出たことだけは覚えている。実質的な活動はこの年入会してきた1年生の坂本、中山君から始まる。体育館のコートは週1回しか使用できないという貧困な環境でのスタートであった。2人とも野外をよく走ってくれたものだった。マラソン大会でよい成績を残したことが思い出される。今はもうトレーニングルームになっているピロテイの低い天井にビニールシャトルを当てながら
手製のシャフトにネットをはって練習したことが思い起こされる。団体戦は人数が少なすぎて、参加できず、個人戦も振るわなかった。このような状況の中で秋の新人戦に臨んだ。
・新人ブロック大会
ダブルス…坂本・中山組 2回戦 シングルス…坂本 2回戦
【女子】
3年生女子の6名(大川・不藤・松坂・毛利・矢島・中尾)が同好会を設立。それまでは、外で密かに練習していたという。意気に燃えての短期間の練習だったが、試合に参加する。成績的には初めて大会に出たとは思われないほどの闘いぶりであった。
・総体ブロック予選 団体戦 千工商に敗れる
シングルス…毛利 3回戦(ベスト8)あわや県大会か!!
大川 2回戦
バドミントン同好会 僕達バドミントン同好会は、男女あわせて5人しかいません。しかもみんな 1年生なので、いろいろと不便なこともあります。練習はピロテイーと、週1回の体育館でやっています。ピロテイーでの練習は、風の強い日などは、シャトルが飛ばされたりするし、冬などはすぐに暗くなってしまうので、シャトルが見えなくなります。毎週火曜日に使うことのできる体育館での練習は、だいたい基本的なものを中心にやっています。しかし週1回では少ないので、時々北校や東校、それに渋谷幕張などと練習試合をやりに、出かけて行きます。顧問の先生は庄司先生と川井先生の二人です。庄司先生は男子を受持ち、川井先生は女子を受け持っています。二人ともとても熱心に教えてくれます。そして、僕達バドミントン同好会は、来年に希望を托しています。
生徒会誌より
(1984)昭和59年
【男子】
この年度の終りに同好会から部に昇格(週2日体育館が使用できるようになった)した。が、大量に入部してきた1年生が合宿後に大量に退部(10名程)して部の存続が憂慮された年だった。ほとんどマンツーマンの練習だった。戦績的にもパッとしなかった。
・総体
シングルス…1回戦 坂本21対4
(幕北)
2回戦 21対15(京葉工)
3回戦 2対21(幕東)
1回戦 中山
0対21(検見川)
【女子】
3年生引退後、1、2年生だけ(残った部員1年、山田・杉田・桜井・竹中・白鳥・高橋、2年佐伯・市場)の振出しに戻ったが、基本トレーニング中心の練習に励んだ。素振りダッシュの数の何と多いことだったか。そのうち辛いやらで、退部者続出、数が少なくなった。
・総体ブロック予選団体戦は戦力不足で振るわなかった。
シングルス 1回戦 市場21対15(渋幕) 2回戦 12対21(市稲毛)
・新人大会 ダブルス…佐伯・高橋組 2回戦
新しく入会した1年生はピロテイー中心に練習を行った。手首を鍛えるためまたコートをきれいにするために片手でホウキをもって清掃したことや筋トレ中心(それが総て)の練習が思い出される。*この年(8/20~24)はじめて校内合宿を行う。なにもかも初めてずくし。 バドミントン部 私達バドミントン部女子は、1年と2年合わせて七人という少し少ない人数で毎日活動しています。”バドミントン”というと多くの人は、楽なスポーツと考えがちですが、実際にやってみると、とても大変なスポーツなんですよ。ダブルスはともかく、シングルスとなると、あの広いコートを一人で走り回らなくてはならないのです。そうですツ!体力を最も必要とするスポーツなのです。シャトルを打つ技術と並行して、走る力もつけなくてはならないのです。そこで主な練習内容は、走ることを中心に始まります。毎日のダッシュ他各種…。 ラケットを持ってからも”フットワーク”というのをやります。一通りのアッ プが終ってからそこで初めてラケットを持てるのです。基礎打ちに始まり、い ろいろな実戦練習。…決して楽な練習ではありません。… ”こんなに走ってばかりじゃ、ついていけない”と思う人が、いるかもしれませんが、本人がその気になって頑張れば、絶対に大丈夫です。部活が終ればみんな一挙にさわぎ出す楽しい部です。あと、年間通しての主な試合は、秋の新人戦と春の総大の二つです。年に二回というだけあって、試合前はみんな必死に取り組んでいます。顧問は川井先生です。練習中は少し厳しい先生だけど、それ以外だったら、楽しい先生です。(?)最後のありきたりの言葉ですが、”あなたも、白いシャトルに青春をかけてみませんか?”
生徒会誌より
(1985)昭和60年
【男子】
新しい力(浦野、山本君、途中から今枝君)が入部してきたが、2年生がいないということは運営上も実にむずかしいことであった。めぼしい戦績なし。
・総体ブロック予選
団体戦(4/12総合運動場体育館 19公園体育館)
幕張北に敗北(0-2)
個人戦
D 坂本-中山組1対2小西・杉田組…敗退 浦野-山本組0対2松本・川島組…1回戦敗退
S 坂本、中山、浦野、山本…1回戦敗退
【女子】
この年3年生はただ一人(キャプテン佐伯)、よく後輩の面倒をみながら、部活をひっぱっていった。
悔しくて、泣きながら練習していた姿が印象的であった。
・総体ブロック予選
団体戦 2位になった千葉女子に負ける(0-2)
ダブルス
佐伯・桜井組、1回戦渡辺・浅井組(千女)、2回戦石井・森田組(検見川)を破り善戦したが、3回戦
中川・野々上組(幕張)に敗れた。 (ベスト8)
竹中・山田組、 1回戦、本田・高橋組(検見川)を破り2回戦、勝又・村井組(千女)に敗退。
シングルス…佐伯 3回戦(ベスト8)竹中…2回戦進出、桜井、杉田は1回戦敗退
・新人大会
団体戦は2回戦まで進出
第1回戦、対千葉西高戦2ー0で、2回戦進出。第2回戦(対市千葉戦)で敗退。
シングルス…竹中 ベスト8
*試合に出て”勝つこと”の意義が少しずつ出てきた時期であった。外部のサークルでも練習していた竹中は高校から 始めたとは思えない程の上達ぶりでシングルスで安定した力を発揮した
バドミントン部
我がバドミントン部は、4年前に同好会として作られ、一昨年前に昇任され ました。まだまだ経験不足の部ですが、顧問の川井先生を中心に、今まで一生懸命やってきました。本当に一生懸命やってきたおかげで、ベスト4やベスト8に入る選手もでてきました。もちろん、うまくなるにはある程度の体力が必要です。そのために月、木、金曜日の外練の時、三校の周りを走ったり、校庭を走ったりします。だんだん走っているうちに持久力がついて、マラソン大会で上位に入ることが出来ます。(実際、ほとんどの人が上位に入っています)体育館の練習は、素振り、フットワーク、基礎打ちまではいつも同じですが、その後はノック、実践、二対一、時には試合など、一日一日違う練習内容です。全然きつくないといえばうそになりますが、初心者の方、運動音痴の方でも絶対についていける部、楽しんでやれる部だと思います。現に、部長の私や副部長その他半分の人は、初心者です。それと、先輩、後輩の仲が他の部よりいいと思うのは、私だけでしょうか…。 とにかくあまり仲がいいんで、練習中に先生に怒られる程です。もうあと三カ月で二年は引退です。四月の総体で県大会に行けるようにがんばってるけど結果はどうであれ、最後の試合は悔いなく戦いたいと思ってます。
生徒会誌より
(1986)昭和61年
【男子】
1年生(田辺、吉村、土屋、城間、増田君)が元気に入部してきた。毎日毎日スマッシュの練習が続き、活気がやっと出てきた。ダッシュの練習にも熱が入り切磋琢磨が始まった。走りと素振りとスマッシュノックの繰り返しの練習のみだった。校内マラソン大会では増田君以下が上位入賞した。
・総体:個人戦(於て:公園体育館、衛生短大体育館 6/2、8)
D:浦野・戸上組 対 磯辺高 0ー2で敗退
S:浦野は1回戦負け、戸上は2回戦負け
・新人大会は1年生のみ(城間、土屋、田辺、吉村、増田、戸上、進藤)で参加し、健闘した。
団体戦 幕張北に1回戦で2-0で負け。
個人戦
D:進藤・戸上組(2回戦負け)
田辺・増田組、土屋・吉村組は1回戦負け。
S:進藤と戸上は2回戦負け、土屋と城間は1回戦負け。
【女子】
チームワークのよい3年生を中心に今までの練習の成果が如実に出た。性格がやさしすぎて(ほぼ全員……奥ゆかしさと表現したらよいのか)試合での詰めがもう一歩という場面も何度かあった。
・総体ブロック予選 5位初めて県大会出場
個人戦(於て:公園体育館、千葉女子体育館 6/2、8)
ダブルス 山田・竹中組(2回戦負け) 石井・小倉組(2回戦負け)
高橋・森本組(3回戦負け) 福原・稲葉組(1回戦負け)
桜井・飯野組(2回戦負け) 杉田・白鳥組(1回戦負け)
シングルス…高橋 6位で無念(4回戦負け) 小倉(3回戦負け)
山田(2回戦負け) 森本(2回戦負け)
竹中(3回戦負け) 桜井(2回戦負け)
・県大会
1回戦若松高校に負ける。(五分五分であったが、1ー2で敗退)
PTA会報より
女子は団体戦で5位に入り、初の県大会出場権を獲得した。
創部以来3年目の快挙であり、出場権獲得の瞬間には部員一同感動のあまりただ涙涙であった。
以下にその戦績を掲げると、第1回戦、対検見川戦(出足良く、思いもかけない結果)2ー0で、検見川を破る。
第2回戦、対市千葉戦(前回の優勝校であり、 力負け)0ー2。
敗者復活第1回戦、対千葉西戦、(予定どうり)2ー0で勝つ。
第2回戦(決定戦)、対幕張東戦(練習試合の成果を生かして)2ー0で県大会出場決定。
4、5位決定戦、対市立稲毛戦(五分五分だったが、)1ー2で負け。
・新人戦 注:8月のシード決め大会で11校中4位でシード権獲得
団体戦
緒戦は磯辺で2ー1で下した。
2回戦の市立千葉には1ー2で敗退し、3位決定戦へ、この試合は千葉女子と対戦したが0ー2で4位に留まる。
個人戦 D:森本・小倉組(4回戦負け) 石井・飯野組(2回戦負け)
S:小倉(4回戦負け) 森本(3回戦負け) 石井(2回戦負け)
福原(1回戦負け)
(1987)昭和62年
【男子】
人数もそろい男子もこれで部活らしくなってきた。上級生が下級生を指導する練習にも気配りと熱気が感じられるようになってきた。
・総体ブロック予選
団体戦は1回戦敗退。
個人戦 D:田辺・城間組、土屋・増田組、進藤・林組ともに1回戦敗退。
S:進藤、田辺、土屋は2回戦負け。 城間、増田、林は1回戦負け。
・新人大会で団体戦初の一勝。
団体戦…市立稲毛を3ー0で下し団体戦初の1勝を達成、2回戦は市千葉に0ー3で敗退
個人戦…4つエントリーしたがベスト8止まりであった。
【女子】
県大会出場にはなるが、1回戦を突破出来ず。2年生部員が遂にゼロに。(フクちゃん頑張ったんだけども)
・総体ブロック予選
団体戦…県大会出場権獲得 (市立稲毛に2ー0に完勝)
個人戦
ダブルス…森本・小倉組 5位で県大へ
石井・福原組(2回戦負け) 一瀬・南組(2回戦負け)
シングルス
小倉、飯野…1回戦負け
森本、南、福原…2回戦負け
石井…3回戦敗退
・県大会 木更津東に敗れる。(0ー2)
ダブルス 森本・小倉組…1回戦敗退
・新人戦 団体戦…千葉西に0ー3で完敗。1年生だけのチームなので妥当なところか。
個人戦…4つエントリーしたがベスト8止まりであった。
(1988)昭和63年
【男子】
それまでの最強の布陣で総体に臨んだが、ブロック大会を抜け出すことが出来なかった。
3年生最後の試合にかける熱気が今一歩足らず。(ああ、予備校通い)県大会出場あと一歩でならずと言うところか。
・総体ブロック予選
団体戦…1回戦で磯辺校とあたり、力量互角であったが、押され惜敗した。
個人戦…3年生5名(城間、田辺、土屋、増田、吉村)で3年間の練習のすべてをぶつけて善戦した。
・新人戦
団体戦…検見川校と対戦したが3ー0で敗退。
個人戦…D:江河・佐々木組と芝崎・寺沢組は1回戦敗退。
S:芝崎(2回戦敗退)、江河、佐々木、寺沢は1回戦敗退。
【女子】
1年生(宮田、市原(由)、鈴木(香)、中川)が新人戦で大活躍をした年であった。が、力的には充分でなくめぼしい戦績はなし。(2年生の奮起が欲しかった頃だった)
・総体ブロック予選
団体戦、個人戦…めぼしい戦績無し。
・新人戦
団体戦…市千葉戦は3ー1でものにしたが2回戦千葉西戦では2ー3で逆転負け。
個人戦 D:鈴木・喜多村組(1回戦敗退) 藤城・将司組 (2回戦敗退)
中谷・粕川組 (3回戦敗退) 市原(由)・宮田組…勝ち進んでなんと4位
S:宮田 (1回戦敗退) 市原(由)(2回戦敗退)
鈴木、中川(3回戦敗退)
環境決定論と環境可能論のハザマで
1954年~18年間:会津若松市 七日町
1年間 :東京都 文京区 小石川
4年間 :静岡市 小鹿
1年間 :茂原市 高師
10年間 :千葉市 磯辺
32年間 :千葉市 中央区 本町 2022年 現在の住人
かわいちゃ60